ドイツ統一記念日 統一後5年のベルリン風景

☆ 10月3日はドイツ統一記念日です。 ☆


 1日遅れの記事になってしまいましたが,10月3日はドイツ統一記念日(1949年にドイツは分裂しますが,それ以前の状態に戻るという意味で,ドイツ再統一記念日と言うドイツ人もいます。)です。
 1989年8月19日に開催された汎ヨーロッパ・ピクニックは,旧東ドイツ民主化という大きなうねりとなりました。そして,1989年11月9日のベルリンの壁崩壊につながり,1990年10月3日のドイツ再統一という20世紀中にはあり得ないと言われていた結果にまで至りました。
 その後のドイツは,東西格差を中心とした様々な問題を抱えましたが,壁を知らない世代が20歳を迎え,新たな時代に入ったと言えます。他のEU加盟国が,リーマンショックあるいはギリシャショックの影響を大きく受ける中,着実な経済成長を果たしました。また,統一により工業生産が壊滅的な打撃を受けた旧東ドイツ地域に,旧西ドイツ地域から環境関連の会社が進出するなどしており,新たな雇用が確保されたりもしています。これからの10年,ドイツは環境をテーマに国際社会で発言力を増すのではないかと思います。
 至って真面目な出だしになりました。
 今回は,統一記念日と言うことで,統一後5年経ったベルリンの風景を紹介します。何故5年後かと言うと,クマとノコが訪ねたのが,1995年だったからで,何の意味もありません。スミマセン。(^_^.)
 当時は,デジカメがなく,フィルムカメラを使っていた時代です。プリントからのスキャンですので,画像がちょっと荒いですし,今のように枚数を撮っていませんでした。しかも,クーダムとか旧西ベルリンのおしゃれな地域の写真がなく,旧東ベルリンの写真ばかりです。どうも,この頃からクマとノコは,旧東に惹かれていたようです。
 「ベルリン・なう」は,他のブロガーさんにお任せして,今回は,クマとノコの15年前の写真にお付き合いください。そして,どうベルリンが変わったのか,変わらないのかを見ていただければと思います。



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↑ 1995年の時点では,まだ市内のあちこちに残っていました。また,壁のかけらと称するものも露店で売っていました。当時の壁のかけらは本物の可能性が高いと思います。



☆ 統一ドイツの象徴ブランデンブルグ門 ☆

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↑ 当時のブランデンブルグ門周辺は,まだまだ整備途上でした。しかし,統一後ですので,当然ながら行き来は自由です。



☆ 市内点描 ☆

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↑ 上  名門フンボルト大学です。旧東ドイツピカイチの大学で,日本語科もあります。
  下左 シャルロッテンブルグ宮殿
  下右 6月17日通り(1953年6月,旧東ベルリンで大規模な反政府デモが起きましたが,人民警察とソ連軍によって鎮圧されました。(=ベルリン暴動)旧西ベルリンの主要道路であるシャルロッテンブルク通りは,この事件を契機に「6月17日通り」と改名されました。6月17日は,暴動が鎮圧された日で,旧西ドイツではこの日を1990年まで,「ドイツ統一の日」としました。)



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↑ 上左 聖ヘトヴィヒ聖堂
  上右 アレキサンダー広場の世界時計(ノコがドイツ語のテキストで見て,絶対に行きたかった場所です。)
  下  旧東ベルリンのレストランです。ここで,初めてラードラーを飲みました。ラードラーは,ビールとレモネードのカクテルで,割合は,大体6対4です。



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↑ 上  マリア教会(森鴎外舞姫」の舞台です。)
  下左 テレビ塔(高さ365メートル,203メートルにある展望台には,エレベーターで行けます。)
  下右 赤の市庁舎(赤の市庁舎やニコライ教会は,ベルリンの一番古い地区にあります。)



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↑ 左 ベルリンの一番古い地区にある熊の像(ベルリンのシンボル,熊のオリジナル)
  右 アカデミー広場のフランス大聖堂



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↑ 上左 ニコライ教会(1230年建造のベルリン最古の教会)
  上右 シャウシュピールハウス
  下  ペルガモン博物館(ゼウスの大祭壇が大迫力です。)