マイスターの作る小さな世界-いろいろな工房(エルツの小さなお人形)

小さなお人形の可愛い世界

 ドイツのエルツ地方の木のおもちゃには,くるみわり人形,ピラミッド,煙出し人形,シュヴィップボーゲンなどの比較的大きなものから,小さな小さなミニチュアまであります。このミニチュアたちは,当時貧しかったエルツ地方の人たちが,大きな木のおもちゃの端材から何か作れないかと工夫して始まったとも言われています。現在では,以前に紹介した「ミニチュアの部屋」,「マッチ箱シリーズ」や小さなお人形たちなど,多くのレパートリーがあり,端材の活用ではなく,最初からミニチュアのために作られています。

花の子ども(Flower Children and Miniatures)

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WEHA・KUNST
 ウェーハー工芸は、1913年にエルツ山地のシュミーデベルクに生まれた建築家フリツ・ハウプトに創設されたのが始まりです。ドレスデンが1945年に空爆によって破壊されたために、建築家および工芸大学の講師としての本来の仕事を再開することができなくなったため、フリツ・ハウプトは1946 年にささやかな木工所を始めました。戦後のの困難のときに彼は小さな製作所で仕事を始めました。先ず彼はろくろを使ってさまざまな種類の燭台を作りましたが、その後、彼の主な作品となったのはメルヘンの登場人物や場面でした。その後、フリツ・ハウプトはディポルディスワルデにより大きな製作所を建てて、こちらに移りました。サイフェンの手工芸学校の校長の薦めによって、フリツ・ハウプトは1949年にろくろによるクリスマス人形の生産を始めました。同時に彼は四季とりどりの花をもつ子供たちにも力をいれました。1946年~1972年の間に、自分の設計による作品が発表されました。1972年に旧東ドイツがこの製作所を国営化して、フリツ・ハウプトは監督としての地位に止まるだけになりましたが、彼は定年退職後また自分で新たに小さな仕事場を作り、民芸作家として独自の道を歩みました。社会主義政権の崩壊とともに、この国営企業の施設も四散し、すでに78才になっていたフリツ・ハウプトの再建計画も当初はなかなかうまくはいきませんでした。できるだけ早く生産を再開し、製品の市場を開発するために、フリツ・ハウプトは自分の計画の一部をライセンス契約にもとづいて他の製作所に譲りました。それと同時に、彼は自分自身の製作所の発展に心をくだきました。そして彼の次女が ディポルディスワルデで今日なお家族経営を受けついています。   WEHA・KUNSTのHPから転載

 クマとノコが,エルツの木のおもちゃに魅入られるきっかけを作った記念すべきお人形の一つです。フラウエン教会が未だ瓦礫の山の頃,ドレスデンヒルトンのショップで購入しました。この時は,工房やマイスターについて関心も知識もなく,ただ可愛いお人形だなぁと思っていました。その後,とんでもないエルツ沼にハマるとは,この時点でクマとノコは気がついていませんでした。(^_^.)



クルミ割り人形

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工房不詳 約8センチ
 紐がついていますので,ツリーに飾るオーナメントかと思います。



鉄道員

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工房不詳 約8センチ
 口に穴が空いていて,煙出し人形風です。小さいけれど,鉄道員必携の小物を持っています。



ひつじ飼い

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工房不詳
 中国人風の顔ですが,ドイツ製です。安いお人形は中国製が多いようです。ただ,じっくり見るとドイツ製は作業が細かく丁寧です。(=高いだけのことはあります)