ドレスデン フラウエンキルヒェ(聖母教会)の再建

瓦礫の山からの再建

 クマとノコの大好きな街,ドレスデンは,第二次世界大戦末期の大空襲により街の大半が瓦礫の山になりました。旧市街の歴史的建造物も例外ではありません。ゼンパーオーパー,王宮,宮殿,フラウエンキルヒェ・・・。一面の焼け野原になりました。
 さて,ほとんどの建物が戦前のように再建された現在では,戦争の痕跡を見つけることが難しくなっていますが,東西ドイツ統一間もない頃は,街のあちらこちらに瓦礫のまま放置された建物がありました。中でも,東西ドイツ統一による戦後復興の象徴的な建物が,フラウエンキルヒェです。ゼンパーオーパーが統一前の1985年に再建される中で,大空襲の悲惨さを世に示すため,意図的に瓦礫のまま残してありました。しかし,東西ドイツ統一により再建の機運が高まり,1994年に再建工事か着工したのです。
 再建にあたっては,オリジナルを可能な限り生かすという方針がとられました。世界最大のパズルと言われた気が遠くなる作業でしたが,1994年に始まった再建工事は,2005年に完成し,世界中から人が集まり献堂式が行われました。なお,ドームの尖塔は,空襲を行った元イギリス軍兵士から寄贈され,真の和解と平和の式典として感動を呼びました。



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↑ 1995年9月の様子です。崩壊を免れた壁面の一部と瓦礫の山が見えます。1枚目の写真の手前の像はルター像です。1994年に再建工事が始まり,当初は各パーツの場所確定などに時間を要したと聞きました。



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↑ 2004年7月の様子です。ドームは上部を残して出来上がり,外観はほとんど完成しています。周辺整備が急ピッチで進んでいました。黒い部分(戦火で焼けて黒くなっています。)がオリジナルパーツを使用した部分です。1枚目,2枚目の写真で,瓦礫の中に残っている部分が,一番大きな面積を占めていますが,よく見ると他のパーツも散りばめられています。



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↑ 2004年12月の様子です。7月からの5ヶ月間で,ドームの周辺整備も進んでいます。ドーム内部の見学が開始されました。



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↑ 2005年12月再建後の様子です。周囲のクレーンは,フラウエンキルヒェの工事用ではなく,周辺の建物の工事用です。



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↑ 2006年12月の様子です。フラウエンキルヒェの周辺も綺麗に整備され,周囲を含めて戦前の街並みが復興されました。



次回は,再建された教会の内部を紹介します。

P.S.中断していたドイツの街シリーズを再開します。後1ヶ月でヴァイナハツマルクトの時期になりますので,ドレスデンの次からは,お勧めのヴァイナハツマルクトの街を紹介します。