ドイツを訪ねて三千里-国内巡礼の旅-④(ドイツ村公園&2つの橋)

クマとノコが訪ねた巡礼の地3番と4番も,徳島県鳴門市内にあります。


3番 ドイツ村公園

 第一次世界大戦中,徳島県鳴門市にあった板東俘虜収容所跡地が,ドイツ村公園として整備されています。ここには,ドイツ兵の慰霊碑とドイツ兵の墓が並んでいて,ドイツからの要人(大統領など)も立ち寄り,献花をされています。
 住宅地の中にある静かな公園でした。
 ここが巡礼の地として一番ふさわしい場所だったかもしれません。

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↑ 公園の入口は,板東俘虜収容所の入口が模してありました。園内には,バラッケ(収容棟)の遺構が点在していて,休憩所は,バラッケ風の建物です。バラッケは,ドイツ兵が帰国した後も,住宅として活用され,第二次大戦後には,引揚された方々の住宅として活用されたようです。



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↑ 当時の給水塔も残っています。



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↑ ドイツ兵の慰霊碑とドイツ兵の墓です。周囲は清掃が行き届いていました。



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↑ ドイツ兵に対する紳士的な処遇がドイツでも話題になり,ドイツ赤十字社との交流の碑もあります。



4番 めがね橋とドイツ橋

 板東俘虜収容所で生活していたドイツ兵が作った石橋が,ドイツ村公園の近くにある大麻比古神社に2ヶ所残っています。
大麻比古神社は,
 「神武天皇の御代、天太玉命の御孫 天富命 勅命を奉じて 洽く肥沃の地を求め 阿波国に到りまして、麻楮の種を播殖し、麻布木綿を製して 殖産興業の基を開き 国利民福を進め給ひ、その守護神として、太祖天太玉命を此の地に斎き祀る。
猿田彦大神は、昔大麻山の峯に鎮まり坐しが後世に至り本社に合せ祀ると伝えられる。
延喜の制名神大社に列し、阿波国一宮と称え阿波、淡路両国の総産土神として崇め奉る。
清和天皇貞観元年従五位上を授け奉り、順次進階して中御門天皇享保四年正一位に進み給ふ。斯く朝廷の崇敬厚く、又代々の国司領主の尊崇深く、神田山林を寄進、藩費を以って、社殿の造営を行ひ、年々祭費を奉らる。明治六年国幣中社に列す。
明治十三年国費を以って本殿以下の造営が行はれた。現在の祝詞殿、内拝殿、外拝殿は昭和四十五年氏子崇敬者の寄進によって造営せられた。」と同神社ホームページの由緒書にあります。
 
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↑ 神社本殿とめがね橋とドイツ橋の案内 



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↑ 庭園の中にあるめがね橋です。庭園内の池に架かっている橋なので,思ったより小ぶりでした。


 
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↑ こちらがドイツ橋です。逆U字の部分が当時日本になかった土木技術のようです。保存のため,橋は通れなくしてありました。


 このシリーズは後1回です。お付き合いください。m(__)m